ヨーガスートラ1-18

1-18 virāmapratyayābhyāsapūrvaḥ saṁskāraśeṣo’nyaḥ
विरामप्रत्ययाभ्यासपूर्वः संस्कारशेषोऽन्यः॥१८॥
想いの停止の修習をしても経験の記憶が残っているのが他(の三昧)
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anyaḥ अन्यः「他」が指しているのは無想三昧のことで、ここでは無想三昧を説明しています。修習を続けていくとsaṁskāra संस्कार「潜在印象」のみが保存されている状態の無想三昧が経験される。
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この辺りを読んでいるとヨーガスートラでの理想の境地など自分には全く関係のないような遠い世界の話をしているような感覚に襲われる方も多いのではと思います。

聞きなれない言葉の解釈や形而上学的な探究は焦って無理して信じなければと極端に走ったり全てを強引に思い込む必要はありません。

ゴールを急ぐことで劇的な変化を求めてしまいがちですが中庸を保ちながら焦る気持ちや行動を抑え、ゆったり淡々と歩みを進めます。

 

さて、今の社会生活を行いながらの修習はとても大変なものですが、それでもやはり出来ることから少しずつ教えを学んでいきたいです。

私たちは心身を通して「自分」という感覚と過去の記憶データを元に、この世界を識別しています。ありのままの世界を見ることが、とても難しい存在のようです。

その「自分」という感覚と、過去の記憶データのフィルターを外し『今』をありのままに見ることをYogaで練習しています。

「私とはこういう人」だと思っていた「自分」という幻想を解き放って、「こうあるべき」という自分像や、他人が求める「私」への勝手なイメージから、自由に着替えてみても良いのかなと思います。