1-21 tīvrasaṁvegānāmāsannaḥ
तीव्रसंवेगानामासन्नः॥२१॥
熱烈な修行者に(無想三昧は)近い
_________________________
離欲に対して熱烈な実践者は無想三昧に入るのは間近、完成は早い。
_________________________
幼いころから瞑想をすることは当たり前で、「手を合わせること。それだけよ。」と教わってきました。
心が落ち着いて、前向きに過ごしてこれたのはきっとそのおかげで、努力という言葉もとても好きです。
心地よいアーサナや安定した呼吸や瞑想、「できた」という感覚に囚われ、いつもそうであるべきだというところに縛り付けられていることもありました。
少し上手くいかないと焦ったり、「できていない」という状態のレッテルを勝手に貼ってしまう癖もなくなり、バランスが取れてきたのかもしれません。
「できた」という感覚や「心地よい」という感覚、「これをすれば人に認められる」と頑張ってしまうことで新しい執着や苦しみが生まれる場合もあります。
離欲は難しいと思うのと同時に、人は皆どんなに頑張り屋なのだろうと愛おしい気持ちにもなります。