ヨーガスートラ1-41

1-41 kṣīṇavṛtterabhijātasyeva maṇergrahītṛgrahaṇagrāhyeṣu tatsthatadañjanatā samāpattiḥ
क्षीणवृत्तेरभिजातस्येव मणेर्ग्रहीतृग्रहणग्राह्येषु तत्स्थतदञ्जनता समापत्तिः॥४१॥
尽き果てた活動(の後で)あたかも高貴な宝石の(ように)認識者(真我)・認識(心理器官)・認識対象においてその染色がsamāpattiḥ समापत्तिःサマーパッティ 定
_________________________
活動が消え去った心は美しい宝石のように清澄になり、傍らに置かれた色をそのまま映しこむようにそれに染まる。これが定とよばれる。

三昧とは同義語とされます。内容は違わないが三昧とは少しニュアンスが違うと考えられますが主旨は変わりません。三昧は3-3に記されています。
_________________________

私たちも周りの状況や周りの声により様々な色に染まり、また心に印された傷により物事にベールをかけた状態でとらえ、過去の記憶を元に『今』を装飾しています。

透き通った心で『今』を感じたとき世界はどのように見えるのでしょうか。

自分を濁りの無い透き通った宝石にしてくれるのは何か、識別する力をYogaと共に学びます。