1-47 nirvicāravaiśāradye’dhyātmaprasādaḥ
निर्विचारवैशारद्येऽध्यात्मप्रसादः॥४७॥
無伺定の極致において真我に還り清澄が生ずる
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無伺定の修習を重ね、それが極まるとブッディが浄化される。
ブッディはプラクリティから生じたものでサットヴァ、ラジャス、タマスの3つのグナから成る。他のグナの働きを抑える形でサットヴァが優勢になり常に不動な状態を保つようになると真我に還る道をたどり内面に清澄が生ずる。
内面の清澄についてはこの後の経文で説明が為されます。
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私たちが観ている世界はすべて遊びや演劇、夢の世界のように例えられることがあります。
喜び、静けさ、騒がしさ、苦しみ、落ち込みなど、様々な心の色を体験しますが、全てはサットヴァ (sattva)、ラジャス(rajas)、タマス(tamas)という3つのグナ(エネルギーの要素)がバランスを替えながら見せる芸術ですから、その一瞬に対して必要以上に落ち込み、苦しみ、悔やんだりせず、その波の動きに気づく練習と思い、サットヴァの優位な状態が来たらそれを少しずつ保持するよう、また静けさに身を委ねるよう最善の努力をするのが良いのでしょう。
人生全てが芸術だと捉えられたとき、喜び、静けさ、騒がしさ、苦しみ、落ち込みなどのそれぞれはどれが美しくどれが醜いというものではないことに気づきます。
それは沢山の色の入った色鉛筆を貰ったあの瞬間や、ピアノと初めて出逢い音を奏でた瞬間のようなトキメキと似ていて、潜在的な力や可能性を私たちに感じさせてくれます。
どの色も音も奥深いハーモニーを奏でるための一員として、欠けてはいけないものだと教えてくれている気がします。
この芸術を味わっている過程で静けさに自然と吸収されていくのでしょう。