ヨーガスートラ1-46

1-46 tā eva savījaḥ samādhiḥ
ता एव सवीजः समाधिः॥४६॥
これら(四種)はまさしく有種子三昧
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ここでは、有尋定、無尋定、有伺定、無伺定(1-42~1-44)の四種が有種子三昧であることを説明している。
savījaḥ सबीजः  認識や瞑想の目的となる客体を持つ、(粗大もしくは微細な)瞑想の対象をもつ、サンスカーラ(輪廻の世界の束縛の因子、次の行為の種子)
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ありのままに見ることが難しいのは、「私」という自分意識が有るからですが、まずはその存在に自らが気づくことが第一歩です。
「私」「私の」「私が」…これが現れるとたちまちありのままには見られない状況になります。
その意識に早く気づくようになり、いつも安心して手放せること、思考そのものをただ見つめること、その繰り返しの練習あるのみです。
例えば『難しいポーズを極めるのがYoga』だという考えと、『難しいポーズはYogaではない』という考えの二つは、実はどちらが正しいというわけでもなく、やはり「私」の考えの方が正しいと思い主張しようとしてしまう時の自分の弱さや癖、サンスカーラに気づき、手放すべきことを教わるきっかけを頂いているだけなのでしょう。