ヨーガスートラ1-43

1-43 smṛtipariśuddhau svarūpaśūnyevārthamātranirbhāsā nirvitarkā
स्मृतिपरिशुद्धौ स्वरूपशून्येवार्थमात्रनिर्भासा निर्वितर्का॥४३॥
憶念が浄化されるとそれ自体(心)は空無のようになり対象だけが輝くのが無尋定
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nirvitarkā निर्वितर्का ニルヴィタルカー(無尋)

名前、意味、知識が分別により執着する憶念すら拭い去り浄化されると、心も無くなってしまったかのようになる。分別知のない定を説明しています。
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思い出や見たこと聞いたこと、何かで読んだもの、自分の推測、この様な経験とされる記憶が浄化されるというのは全てを忘れてしまうのではありません。

記憶や経験をベールとして『今』を見るのとそのベールを外しありのままを見るのは選べるのです。
毎日の生活も私たちはその名前と記憶に基づいて認識をします。
この世界のことも、自分のことも、生まれ変わった存在として新鮮に感じ、過去の思い込みという束縛から自由になるために、名前に過度に振り回されないこと、先入観なく新しい気持ちで全てと出会うこと、そのような毎日はとても色鮮やかです。