ヨガアート®はヨガ旅のガイド

ヨガとの出逢いは必然

ヨガを練習する人は、無価値観に苛まれるとき、足元を立て直すのを助けてもらうような経験をすることがあります。

運が良ければ、世界での在り方を示してくれる指導者やメンター、指導内容と出会うことができ、それをきっかけに探求へと導かれ「心の声」に響くような学びを得られることもあるでしょう。

多くの人が“起こる事には意味がある”という言葉を聞いたことがあると思います。

シンクロニシティや運の存在ついては議論の余地があるかもしれませんが、人生で自分の内側にある何かが明らかになるような経験をすることがあるという点では同意できるのではないでしょうか。

ヨガの観点から人生を見ると、私たちの選択の背後にある原動力とその繊細な結果に気づかせるように状況は展開しているとも言えます。

私たちも、昔を振り返ってみると、瞑想を始めたことが、今日の私たちの道へと導いてくれたことがよくわかります。

長きに渡り、瞑想を続けたことで、幸運なことに、歓迎すべき変化を受け取ることがありました。

 

医学的根拠とヨガ実践による体験の融合

ヨガは解剖生理学や運動学といった医学的根拠で全てを証明することができません。
その前提が分かっていても、ロサンゼルスで出逢った医師や理学療法士、そして『動きの専門家』とも呼ばれるTony先生の教えは、健康的な関節の位置によってもたらされたサポート以上に、忘れがたい精神への印象を残しました。

全ての師は決して私たちに権力を行使することなく、私たちの経験について尋ね、さらに探求するように促すことで、一貫して内なる知恵を反映させてくれました。

アーサナのために解剖学と運動学を学ぶことで、私たちは自分の身体の自然な知性と身体意識を信頼することを学びましたが、これは平和な体験へと導いてくれた「瞑想」と呼ぶ状態と一致しています。

自分の内側の中心のような場所につながった結果、私たちは自分の内なる知恵を心から信頼するようになりました。

 

人生を創造的に表現できる方法

ヨガインストラクター養成講座でご提供するのは、私たちの数十年にわたるヨガの実践と研究の集大成です。

“ヨガアート”は、私たちの身体、直観、自己認識を信頼することが土台になり、アーサナ(もしくは人生)を創造的に表現するためのインビテーションです。

そして、ヨガアート原則は、私たちの体の形、機能、動きについての厳密な研究に基づいています。

エクロールヨガは、国内外の何千人もの生徒に教えてきた長年の経験と、解剖学的な現実を調和させています。

“ヨガアート”は、一人ひとりの個性的な肉体や心を尊重し、解剖学的特徴に沿わせた健康的な動きの方向性と範囲、そして自己への思いやりをもって、私たち一人ひとりが自分自身のためにアーサナを形成することを促す練習の枠組みを提示しています。

アーサナでのバリエーション豊かな動きの選択が、身体の感覚やそれに伴う感情にどのような影響を与えるかを理解し、探求する機会を提供しています。

私たちは、外部から提示された知識に一致するアーサナを作るために、厳格な「アライメント」の原則を規定するのではなく、自分の身体の豊かさを見て、動いて、そして感じて信頼するように導きます。

重力との関係によって形成された構造の基礎から得られる情報、そこに基づいた選択を行い、アーサナの身体的・心理的な探求を深めることを推奨しています。

“ヨガアート”は、生徒にとってもヨガ指導者にとっても貴重な資料になるはずです。

どのようにアーサナを表現するかについて“ヨガアート”の正確で直接的な説明は、私たちの身体に響く内なる声に気づき、私たちを呼び覚ましてくれます。

まず、自分の練習スペースを確保し、マットの上で、今までの思い込みやモヤモヤを打ち破る実験を楽しみましょう。

ヨガアートがその歩みを必ずサポートします。

 

よくあるアーサナへの誤解

ヨガやアーサナへの誤解とは何か、なぜ、その誤解を信じてしまわないように自分自身を教育する必要があるのか、について詳しく説明したいと思っています。

自然な動きの中にある本質的な知性を再発見するために、あなたのヨガ旅のガイドとして“ヨガアート”をどのように利用するかを提案します。

以下の様なお悩みがあれば、是非ともヨガアートをオススメしたいです。

・自分の学んでいるヨガの道が正しいのか分からなくなってしまった
・実は周りの人に負けていることが悔しくて、辛いと思っている
・ヨガをもう一度学びなおしたい、できれば人生もリスタートしたい
・『インド古来のヨガ』『医学的根拠』を二極でみてしまいモヤモヤする
・多様性を認めることと曖昧な指導の違いが分からず自信が持てない

私たちは指導の過程で30か国以上の生徒と出逢い、生徒の個性を尊重する姿勢や重要性を体感しました。
その経験は、ヨガアートの土台を力強く、そして柔軟にもしてくれていると思います。

 

ヨガインストラクターの在り方

ヨガを教えることは権利ではなく特権であり、生徒がいなければ先生も存在しません。

指導者は、何が安全で効果的な教え方なのか、それをどうやって生徒に効果的に伝えることができるのか、ということをもっと理解したいと常に思っているはずです。

また、最善を尽くしたいヨガ指導者は、クラスの中で生徒さんのペースだけに合わせるのではなく、安全で効果的な練習の仕方をトレーニングしたいと思っているでしょう。

ヨガはますます人気が高まり、西洋文化に溶け込んでいるため、インド以外の国でも何百万人もの人々がヨガを学び、実践しています。
それに伴い、ヨガの先生も増えています。

私たちがヨガの先生を教えるために旅をしていて、ほぼ共通して気づいたことは、ヨガのクラスでよく教えられる原則や言い回しの中に、解剖学を基にしたと謳っている場合でさえ解剖学的な事実や現実に基づいていないものがいくつかあるということです。

これらの原則の中には、身体の構造や、アーサナ(ヨガのポーズ)の練習や通常の日常動作で、関節や筋肉が実際に働く方法を阻害するものがあります。
こういった観察結果も、私たちに“ヨガアート”を創造させるきっかけの一つになっています。

 

ヨガインストラクターが苦しまないように

私たちの夢は、ヨガを学ぶ生徒やヨガ指導者の教育に貢献することです。
私たちは、生徒さんたちに、どのスタイルの流派やアーサナでも、安全にクラスを受けられるような方法で教えたいと考えています。

ポーズや人生において、より多くのことを「もっともっと!」と増やしていくことができるのはわかっていますが、私たちの本当の挑戦は、より丁寧に、そして如何に少なくできるかということです。

どこかのタイミングで、不安によって掻き立てられ、その焦りが原因で追いかけてしまう物を、少しずつでも減らしていかなければならないのです。

アーサナの練習では、野心的に動きの範囲を広げたり、無理に動かしたりするよりも、アライメントを正すことによる快適さが常に重要です。
意識的に少し控えめにするという方法を守ることは、ヨガマットの上で安全で幸せな状態を保つために大いに役立ちます。

そうすれば、70代、80代、そして90代になっても、楽しくアーサナの練習を続けることができると信じています。
エクロールヨガのヨガインストラクター養成講座を受講した方の中では、70代で指導を続けてらっしゃる現役ヨガインストラクターの方が活躍中です。

 

“みんなが言っているから正しい” は要注意

“ヨガアート”では、各コンテンツで「ヨガへの誤解」を紹介しています。
これは、どのようにアーサナを練習すべきかについて一般的に信じられている誤解のことで、実際には身体の構造や動き方についての解剖学的な現実を表してはいません。

これらのヨガへの誤解は、事実上、ヨガ以外のフィットネスでも多くのシステムに共通して行われている傾向があります。

ヨガアートはいくつかのパートに分かれていますが、解剖学的構造を、興味深く学べるだけでなく、その情報を実際に活用できるような方法で説明しています。

私たちが、最も重要だと考えているのは、人体がどのように構成されているかという基本的な構造上の事実を理解するだけでは十分ではないということです。

 

身体の表現力や活用能力を高める利点

私たちエクロールヨガの前身のスクールでは、ピアノや歌の指導も行っていました。楽器を弾いたり歌ったり、その音楽の力は、すべての楽器や身体部位が自分自身と真の意味で一体化し演奏されたときに発揮されます。

人間の動きは、演奏と同じくらい、もしくはそれ以上に複雑で入り組んでいます。
立ったり、寝たり、ジャンプしたり、逆立ちをしたり、さまざまな動作ができるように、私たちの構造の各部分が協力し合っています。

身体という「楽器」が、優雅で心地よい流れの中で演奏されているとき、動きは効率的で、痛みがなく、美しいものとなります。

「アーサナの形」や「ヨガを介した成功の結果」を誰かに見せつけたいという自己顕示欲や、社会的に成功した者への妬み、不明確で誤った知的信念や、身体意識の欠如によって、身体の自然な知性が妨げられ、必ずその結果が怪我や心の痛みとして出てきます。

これらの結果、現れる心身の限界は、そもそも生徒がヨガのアーサナ練習を求めてヨガに出会った当初の理由であることが多いように感じています。

頭痛、精神的な乱れ、不安感、背中や腰の痛み、膝の痛み、関節のこわばり、筋肉の過緊張、姿勢のアンバランス、消化器系の問題、その他の臓器の機能不全、摂食障害、自律神経失調症などさまざまです。

練習をした結果、なぜかスタート地点に舞い戻ってしまった、指導を始めるとヨガを続けることが辛くなってきた、ということも少なくありません。
パターン化された自分自身の癖の悪い循環をより強く濃くしてしまっているだけなのです。

ヨガを学ぶ人も教える人も、学ばなければならないのは、表現力と活用能力です。

本を読めるようになると読み書きができるようになるように、自分や生徒の動きを読めるようになることが必要だと思います。

そうすれば、ケガや障害の原因や、その動きに伴う心身の痛みを明確に理解することができます。
より深い幸福感と健康に貢献できるような、今までとは異なる身体の使い方を自分自身や他の人に提供することができるようになります。

 

新しい選択:リスタート

柔らかい目で生徒や自分自身を見るとき、真実と思いやりの両方の視点を重ねて見ることができます。
そうすることで、自分や生徒がそもそもどのようにして機能不全に陥ったのかを理解することができ、その結果、ヨガの練習や指導において、今までとは違うことを選択する機会を作ることができるのです。

その違いとは、自分を傷つけることをやめ、より喜びと幸福感を持って動き始める力を持つことです。